こんにちは、くろはるです。
幼い頃のこの時期は、
大好きな運動会の季節でした。
(北海道は6月始め頃に行う小学校が多いです。)
運動が得意だった私はいつもリレーの選手に抜擢され、
その時だけは世間から認められている気分になることができ、
シャイで人前に出ることなんてもってのほかで
「この問題わかる人ー?」で手をあげることもこわくてできないくらい
引っ込み思案の私にとって、一年で一番輝ける時期でした。
(いつからか覚醒して人前にでることが快感だと思う性格へと変貌した)
北海道の6月はまだちょっぴり肌寒くて、
「は?お前まだ長袖?もうTシャツっしょ!俺ぜんぜん寒くねーから!」
といっていち早くTシャツを着て自慢する男の子が初夏の風物詩。
そんなことを思い出している時にふと気づいた。
もしかして今年って、運動会中止なの・・・?
すぐさま検索してみると、9月ごろへの延期を検討しているそう。。
どうか神様、子供達の大切な思い出を奪わないでくださいと
本気で思いながら涙しました。
はぁ。年々涙もろくなるわね。
私は私の人生しか生きていないんだなと思い知りました。
もっとまわりに目を向けられる人間になりたいな。
序章が長くなったのですが、
幼い頃に思っていた「いつか○○したい」について
ふと考えました。
「いつかお花屋さんになりたい」
「いつか雲に触って食べてみたい」(綿あめだと思っていた)
「いつかお菓子の家に行ってみたい」(そして食べたい)
「いつか氷川きよし様とお話してみたい」
「いつか演歌歌手になりたい」(これは笑える思い出)
「いつかドラマみたいな大恋愛をしてみたい」
「いつか全国大会にいってみたい」
「いつか髪を染めてみたい」
「いつか沖縄にいってみたい」
「いつか誰よりも活躍する社会人になりたい」
「いつか誰かと結婚してみたい」
「いつか人と比べる人生をやめたい」
「いつか日本一周をしてみたい」
「いつか両親に素敵なプレゼントをしたい」
「いつかきょうだいに最高の思い出を作りたい」
「いつかおばあちゃんおじいちゃんと最高の思い出を作りたい」
小さい頃から「いつか」「いつか」としてきたものは、
大人になるにつれて叶えられることとそうではないことの区別がつけられるようになったけど、
「いつか」までの距離を選べるようにもなったなと思います。
「いつか」とは一体いつなのか?
幼い頃は大人になるなんてまだまだ先だと思っていて、
二十歳になったら大の大人だと思っていたし、
24歳になったら自動的に結婚するもんだと思っていた。
実際は全然違って、
6月になると「もうすぐ夏だ!海だ!」とワクワクするところとか、
帰り道誰かさんのお家の夕飯のいいにおいがすると、くんくんしながら
「肉じゃが!」
とひとりQ&Aをして笑ったり、
精神年齢的には昔と何にも変わっていないのに、
知らないうちに幼い頃「大の大人」だと思っていた年齢になっていました。
あの頃の「いつか」といまの「いつか」の違うところってなんだろう。
そう考えた時に思いました。
今の「いつか」はきっとすぐに手に取ることができる距離感。
大人になると、時間の使い方やお金の使い方を
自由に選択することができる。
「いつか」を「明日」にすることだって可能なんだなと。
なぜ人は自分の人生を無期限だと思ってしまうのか。。
よく、「明日世界が終わるとしたら?」
なんて質問があるけど、
そういう心持ちで生きている人って
いったいどれくらいいるだろう。
まぁそんな重たい話をしたかったわけではなくて、
せっかく大人になったんだから、
「いつか」までの距離感を
極力短くしていきたいな!と思ったのです。
やろうと思えばなんだってできる
思い返してみれば、このコロナがきっかけで
私の中にあった「いつか」も「明日」になったことが
いくつかありました。
「いつかパンを作ってみたい」
「いつか自分で作ったコミュニティの中で会話をしてみたい」
「いつかヨガから始まる1日を送ってみたい」
「いつか映画を観まくる生活をしてみたい」
「いつかシナモンロールを作って食べてみたい」
「いつか焼き菓子の詰め合わせを作ってみたい」
今は小さなことだけど、ずっと思っていた「いつか」を、
「明日」へと変えることができました。
きっと自分の野望や野心を常に意識しているからこそ
「ひょいっ」と軽く挑戦することができたんだと思います。
「いつかそば打ち体験をしてみたい」
の「いつか」を「明日」にしたのがついこの前なのですが、
見事に失敗しました。。
切り作業まではうまくいったと思ったのに、
茹でている間に麺がどんどん姿を変えていき、
わずか2cmの短いそばの集合体が出来上がりました。
怪奇現象かと思いました。
どうやらこれが「そば切れ」という、そば打ちの一番の失敗らしい。
そば打ちの一番難しいと言われる「水回し」という工程で失敗すると、
茹でた時に麺がぶちぶち切れて短いものの集合体ができてしまうらしく、
それを「そば切れ」というらしいです。。
大好きな彼氏のお誕生日、
はりきって数ヶ月前からリサーチして計画して、
いざ、お誕生日当日のサプライズ!に大失敗した時のような感覚でした。
うまくいくと思ったのに、、どこで間違えたの、、私。
でも、そば打ちは間違えた工程がわかりやすいのでありがたいですね。
恋愛と違ってね。
(なんの話?)
「いつか」までの距離をできるだけ短く!
せっかく切磋琢磨して生きてきて”大人”になったんだし、
大人の特権を使って、「いつか」を「明日」にしたり、
「いつか」を「今週末」にしたり。
距離感をぎゅっと縮めていきたいなぁと思った
2020年の6月の始まりでした。
ちなみにそば打ちは成功するまで週3で練習すると決めました。
お蕎麦を愛してやまないこの性格と、
失敗すると「できるまでやってやる!」という負けず嫌い精神。
めちゃくちゃ燃え上がってしまってるので
しばらくは頭にハチマキを巻いて職人ごっこをする日々となりそうです。(汗)
では!
精神年齢が昔と変わらないってのは、スゴク共感です(>_<)
ぼくは14歳から進歩していないと思うw
気持ちは永遠の14歳だ!エヴァにだって乗れるぜo(`・ω・´)○
くろはるさんには分からないネタでスミマセン(笑)
大人になるほど、自分という人間に諦めてしまって、
何をやるにも一歩が出づらくなった気がします。
好きなことくらいしか出来なくなった~。
でも最近は、くろはるさんに触発されたのか、
下手なりにも料理でも始めるかと、ちょっとづつ始めましたw
今後も動画や日記等でいろんなレシピを教えて下さいね♪
ほいでわ!またに~☆*.・(*ゝ∀・*)ノ~see you again
精神年齢は、高校2年生ぐらいかな?
しかし、『出来るまでやってやる』という姿勢は素晴らしいです。
僕には無い。座右の銘は『ま、いっか』の、僕にはなる様になるだろうという感じですかね。
一応、人生の岐路での選択は自分で行いましたので、悔いはありません。
良かったな、と、思うものは、「年賀状を出し続けている事」です。
それが、今は、再会や、メールやライン、スカイプに繋がって来ました。
後は、「ときめく心を持ち続ける」事が出来ていることかな?
2016年に、欅ちゃんに出会えて本当に良かった。ここに来て、華やいだ人生になりました。
もしかしたら、明日、死んでしまうかもしれません。しかし、明日、素晴らしい出会いがあるかもしれません。それならば、素晴らしい出会いがあると思って眠りましょう。